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きこ
この1ヶ月も楽しいこといっぱいあった❗️
そういえば万博行った!あんま興味なかったけど割と楽しかった!!もう最後らへんに行ったから、パビリオンとか予約出来んかった😭😭
予約いらないところもすんごい並んでた‼️
でも未来スシロー?みたいなところに行けたよん
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がる
たぶん日の出🌅待ちかなぁ‥
遠くに少し霧が出ているけど‥大丈夫かな‥
外はマイナス5℃‥オイラひとりだけ冬仕様の格好じゃないな‥[目が回る]




📸きりやま🌙🥂💜ᩚ





マロン🌰
大人しく鉄道のボックスシート
に座ってたら
女子高生に囲まれた
帽子マスク効果
恐るべき
1駅だけだったが
ハーレムな時間を
ありがとー
流石に証拠写真は無いよ
ww
みんなべっぴんさん
だったけどね


ゴトー(と🐱)
庶民の便利な足であったこのそりですが、当然ガキどもは普通には乗らず、テンションMAXでカッ飛びます。歌詞の中に出てくる“Two-forty as his speed”とは、当時の馬の速さを示す基準であるところの「1マイル(約1.6km)をどれぐらいの時間で走れるか」という数字でした。「2分40秒」というのは換算すると36km/h、当時の感覚では雪上でそり牽引でこのスピードはとんでもない俊足でした。当然すっ転びまくるわけですが、転んだって雪の上。お構い無しにまたかっ飛ばしていくのです。おめーら元気だなってなもんです。当然、親の目を盗んで一晩中走り回ります。「シャンシャンシャンシャンうるせーぞ悪ガキどもが!」ってな感じで、まさに暴走族と言っても過言ではないでしょう(私見)
そしてそんなんがモテたりするもんだからわからんもんです。曲中でも華麗な走りを決めたらファニー・ブライト嬢の心が射止められんとばかりにポンコツ馬をすっ飛ばして雪だまりに突っ込んだりしています。馬鹿ですね。
そしてそんな様子を、「まあまあ、俺たちにもあんな時代があったじゃないか、なあお前」ってなもんで村社会全体がそれを許容する空気があったのではないかと、まあ想像するわけです。度し難い。
この詩を作ったのはどっかの牧師さんで、自分の教会での感謝祭に向けて作ったと言うことですが、まあなんというかこの牧師さんも少年時代は大変面倒な子だったようで、Wikipediaから引用すると、
1832年、ジェームズは10歳でニューハンプシャー州の寄宿学校に送られた。1年の間に何度も学校を脱走した後、彼は母親に宛てた手紙の中で、学校が12月の雪の中をソリを走らせて、彼が脱走するたびに彼を探し出して連れ戻してくれたことについて書いた。彼はソリの鈴の音を聞き分けてソリが近くにいることを知るようになったため、彼を捕まえるのはますます難しくなり、これが「ジングルベル」の歌の由来となった。また、彼はソリを引いている馬を矢で射殺しようとしたこともある。1836年の最後の脱走で、ジェームズはシャーク号という捕鯨船に乗って海へ逃げた。
だそうで。まあだから陰気で説教臭い普通の坊主とは違い「おい、あの坊さん、結構話せるぞ」ってなかんじの、人間味あふれる坊さんであったと考えられます。
そんな生臭坊主が書いたジングル・ベルも今ではすっかり毒気が抜かれてしまいましたが、当時はこんなんであったに違いないと断言します。知らんけど。


もかち
めちゃ綺麗

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ひつば

わらび餅
は今日は和歌山で🍑を1個半使った贅沢パフェをご馳走になり、店主さんのリクエストがなんと
”🍑を使ったオムライス”
それに対して出来上がったのが
”🍑のホワイトオムライス🍅🍳🍚”
いつ見ても楽さんと航さん、イケメンな上にスケッチも上手だし何よりもリクエストで作る料理が素晴らしいっ👏✨🤩👍
ホント、尊敬だわ〜😍
あ、🍑のパフェもこれは食べたいっ😋♪👍✨
#旅するエプロン
#GRAVITY料理部








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