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フィロソフィア(知恵を愛する者)という言葉はソクラテスよりも百年以上前にピタゴラスが言ったとされたもので、ソクラテス自身が哲学という言葉の意味を厳密に定義したわけではないと思います。
確かに『パイドロス』には以下のような記述があります。
『これを「知者」と呼ぶのは、パイドロス、どうもぼくには、大それたことのように思われるし、それにこの呼び名は、ただ神にのみふさわしいものであるように思える。むしろ「愛知者」(哲学者)とか、あるいは何かこれに類した名で呼ぶほうが、そういう人にはもっとふさわしく、ぴったりするし、適切な調子を伝えるだろう。』(岩波文庫175〜176P藤沢令夫訳)
これはあくまでプラトンが書いたことであって、ソクラテスが実際に「哲学とは何ぞ」ということを話したわけではないということです。
ピタゴラス、ソクラテス、仏陀、孔子、イエス、人類の偉大な教師はみな書く人ではなく話す人でした。おそらく、テクストに束縛されたくなかったのでしょう。自らの教えが、弟子の心に残って成長し、花開いていくことを望んでいたのだと思います。
『パイドロス』には書かれた言葉と生きた対話を比較する箇所があります。書かれた言葉は自力で返答したり、自分の意味を説明したりしない。何かを語っているように見えるが、それは固定されて動かない。書かれた言葉は死んでいるのです。それに比べて対話は、確かに書かれた言葉のように残りはしないけども、飛び立つ鳥のように生き生きとしている。
パウロはこう言っています。「文字は人を殺し、霊は人を生かす」と。これは、あらゆる規則や教義、思想において、その文字面や形式(文字)だけに囚われると、本来の目的や生命(霊)が失われてしまうという教えです。
私としては、哲学はもっと身近で、誰にでも開かれたものであってほしいと思ってて、ソクラテスの態度もまさにそれだったのだと思います。「これは哲学」「これは哲学ではない」と線引きして、哲学を象牙の塔に押し込むこともないでしょう。これは彼の思想に明らかに反している。キケロは「ソクラテスは哲学を天から引き下ろし、人のうちに住まわせた」と述べています。SNSの場において、血の通った生きた人間が、生きた知識を共有し合うこと、哲学とはそういうものだと思っています。
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