共感で繋がるSNS
GRAVITY(グラビティ) SNS

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まい

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インスタで永遠にうちの三姉妹みたいな育児ブログ(?)よんでる
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ムジン

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小3になった甥っ子に1年ぶりに会った。ちいかわレベルだったのに、ハチワレレベルになってた。子供の成長すごいな。
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わく

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自分が何者であるかを身勝手に定義される場、それがsns。自分自身が何をしたか、どういう人かということが、勝手に証明されなければならない場。実像を極度に記号化するsnsに、私は長年嫌気がさしている...

インスタに、さして飾り気のない岬の写真をあげてみる。構図にクオリティがなくて、無骨。それゆえ自分がいかにも孤独で冴えない独身男性であることを痛感させられる...でも、どうだろう。私自身が自発的に惨めな気持ちになっているとは思えなくてもどかしい。なぜなら、都心で幸せな自分を演じているときよりも今の方がラクだから。

要はこういうこと...なにげなく写真を撮りインスタにアップする。その写真が別人の写真と紐づけられ、勝手に文脈化される。写真が記号化され、そこに本来あったはずの主体性が剥奪されていく。撮影者の人格が定義されていく。文脈を決定する権能を奪われていく。(なお、文脈の自決権を奪われていくプロセスは、説明しようとすればするほど説明しづらくなっていく。そこには人間心理一般やそれを利用したアルゴリズムの集積が作用しているはずだから。)

snsは自己表現の場ではない。他人から身勝手に同定(identification)される場。なお、この同定の作業は人間心理一般のものでもあるが、それをやたらと先鋭化させて、覚醒剤のように依存させる仕組みになっているのがsns.

アイデンティティもオリジナルもすこぶるくだらない。いろんな人に囲まれて生きていて、すぐそこにいる誰かのために自分の仕事があって、それが惨めだとか、あるいは偉いだとか評価したところでなんの意味もない。そういう評価は、大半の人たちにとって目障りなだけ。...偉い方だけが偉いわけがない。

自分が何者か、なんて、わざわざ説明"される"義理はない。他人と比較して差分を取って、ようやくどこかに"オリジナル"を見つけられたとして、それは誰に取ってのオリジナルなのか?換骨奪胎されるだけのアイデンティティ、オリジナルを本質のようにみなしていいのだろうか。可能性を剥奪しまくって理解できるものだけを研磨してさらに積み上げたとして、それは誰のためになるのだろう。
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ふゆ

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最低な君に贈る歌のAcoustic versionの
優里の髪型すきすぎてにやけ止まらん
永遠に聴ける
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