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もってぃ

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Mai
しかも、iPhoneに同期されたい!
そんな優れものあったりする?
ファンタジア

ルドヴィカ
学校行かないが1番無意味だなと思ったから、
先生に言われるまで、
課題は放置して見ようかと思う

炭酸🟩

シズ
回答数 25>>
この問いには 三つのレベルの答え が同時に存在します。
事実としての答え(自然・科学のレベル)
人は絶対に死にます。
これは現時点では反例がありません。
生物は必ず老化する
細胞は無限に自己修復できない
医学は「死を遅らせる」ことはできても
「死を消す」ことはできていない
科学的には
人間の死は必然。
哲学的に見ると:それでも「絶対」と言えるか?
ここからが本題です。
ハイデガー
人間は「死へ向かって存在する」
死は未来の出来事ではなく、
生きている今この瞬間を規定している条件。
人は「いつか死ぬ存在」ではなく
「すでに死を含んで生きている存在」
この意味で、
死は逃れられない=絶対。
エピクロス(逆説)
死は、われわれにとって何ものでもない
理由は単純。
生きている間 → 死はまだ来ていない
死んだ後 → もはや「私」は存在しない
だから
死を経験する主体はいない
この立場では、
「人は死ぬが、
人にとって死は存在しない」
という逆説が成立します。
では「私」は死ぬのか?
ここで問いは変形します。
「肉体」は死ぬ
→ これは疑いようがない
「意識」は死ぬ
→ 経験的には確認できない
→ だが継続を証明もできない
「私」という存在は?
哲学はここで割れます。
プラトン的答え
魂は肉体と別
肉体は死ぬが、魂は続く
人は死なない
近代以降(デカルト〜現代)
「私」は記憶・関係・言語の束
身体が終われば、それも終わる
人は完全に死ぬ
現代的解釈(物語としての人)
人は
誰かの記憶に残る
影響を与え続ける
言葉や行為が再生される
この意味では、
人は死んでも、完全には消えない
だがそれは
「本人が生きている」のとは違う。
哲学的に一番誠実な答えとして
人は必ず死ぬ。
だが「死ぬ」ということを
自分で経験することは決してない。
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ギルノ

ふ

ア イ
自然と笑顔になっちゃいましたね、、

こうめ

ショウ

うさう

大口た
#アンジーラジオ

きすい

江戸っ

ニート
大阪万博か星野源かギリギリ分からない(?)
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