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桐夜。

桐夜。

🦋特に意味のない随筆

 踏み入るや、貴方の視界は暗転する。突然の事に驚くかもしれないが、すぐに暗さに目が慣れ、状況を理解することだろう。貴方は、真夜中の世界に踏み入ったのだ。
 周囲を囲む不規則な直方体の影と、まっすぐ一本だけ伸びる道は、ビル街の裏路地を彷彿とさせる。電飾らしきものは一切ないものの、朧月による藤色の月光が降り注ぎ、路地をぼんやりと照らし出していた。貴方のよく知る月とは色合いが違うが、この世界においては、きっとこれが正常なのだろう。そう思えるほどに、夜空の星々はただ穏やかに輝いている。
 通路の先の薄闇へ視線をやると、体格からして男と思わしき人影が立っていた。その男が見つめているらしい先の道は、月光を反射してキラキラと輝く何かに覆われている。
 不思議に思い近付けば、貴方はそれの正体を視認する。それは、赤と青のグラデーションに黒色の縁取りがなされた羽の、大量のアゲハ蝶だった。それらがまるで絨毯のように道を覆いつくし、時折羽根をはばたかせてキラキラと月光を反射し輝いていた。ここまで蝶が大量にいるからだろうか、獣臭ならぬ虫臭と思わしきすえた臭いがうっすらとしている。
 そして、貴方に気付いたらしく、男が振り向いた。その顔の左側には、道にいる蝶のひときわ大きな個体が止まり、その片目を隠していた。
「…おや、コンバンワ。もしかして、この道を使いたいのかい?…ごめんね、もう少しだけ待っていてくれないかな。御覧の通り、今は彼らが取り込み中でさ」
 穏やかな声色と口調で、男は儚い笑みと共にそんな言葉を口にする。彼らとは何かと貴方が聞けば、男は道を覆う蝶達を手で指し示した。
「彼らっていうのは、ここにいる蝶達だよ。全部終われば、すぐにどかすからね。…あぁそうだ、もしキミが良ければ、少し話に付き合ってくれないかい?蝶達が飛び立つのを待つまでの暇つぶしにもなるだろうからさ」
 貴方がそれを承諾すれば、男は笑みを深めるように目を細めた。
「ありがとう。それじゃあ、少しだけ…」
「僕はずっとこの世界に居るもんで、昔のことはもうだいぶ忘れてしまったんだ。そんな僕でも、未だに覚えている言葉がある。『例え貴方が"死"という概念がない存在で、貴方自身が"生きていること"を否定したとしても、私は貴方が消滅してしまうその日まで、貴方を"生きている"と呼ぶだろう』…こんな言葉さ」
「誰に言われたのかも、いつ言われたのかも覚えていないのに、言葉だけは覚えているんだ。それほど、この言葉は僕にとっては驚きだったし……それ以上に、まだ腑に落ちきっていなくて、喉に引っかかり続けているんだ」
「生の反対は、死だ。死があるからこそ、生がある。ならば、死の概念がない存在は、果たして"生きる"なんて言葉を使う権利はあるのだろうか?呼吸も捕食も、全てが模倣による行動であったとしても、それは"生きている"と言えるのだろうか?…ねぇ、キミはどう思う?」
 貴方が返答までに使った時間が長かろうが短かろうが、貴方の返答が男の覚えている言葉を肯定しようが否定しようが、男はただ笑みを浮かべ続け、静かにあなたの返答を聞き入れる。
 その後もいくつか言葉を交えていると、突として蝶達が一斉に飛び立った。蝶の大群が影となって月光を遮る様は、美しさよりも畏怖を覚えるかもしれない。だが、貴方の中にその感情が湧くより早く、男が三回ほど手を叩けば、蝶達はまるで幻影であったかのように、夜空に溶け消えるように消滅した。
「…はは。話をしているとあっという間だね。僕のこんなつまらない話に、親身に付き合ってくれてありがとう。もうここは通れるようになったよ。このまま真っ直ぐ進めば、この世界の出口さ。…それじゃ…、きっともう二度と会うことはないかもだけど…、またね、箱庭の旅人さん」
 そんな言葉と共に、パチンと指を鳴らす音が聞こえれば、いつの間にか男は姿を消していた。代わりに、男が先程まで立っていた場所には、小さな標本箱が残されていた。赤と青のグラデーションに黒色の縁取りがなされた模様の羽を持つ、アゲハ蝶らしき標本が入ったそれの側面にはシールが貼られており、こんなことが書かれていた。
『 この先も生きていくキミの旅路に幸のあらんことを 』
 貴方はこの標本箱を拾っても、拾わなくても構わない。どちらにせよ、このまま路地を真っ直ぐ進めば、いずれ別の箱庭の入口へとまた繋がるのだ。
 この標本箱は特別な効果がある訳でもなければ、次の箱庭世界に進む為の鍵でもない、ただ「思い出になるだけの品」でしかないのだから。
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