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HIRO
ASDの情緒的交流について
例えばお葬式
あまり近しい関係ではないお葬式において
親族は悲しみなどを、感じているが
ASD本人は特別そういう感情はない
もちろん定型のひともそういう感情はないだろう
では何が違うのか
定型はその場の雰囲気や親族の悲しみなどを感じ取って
自分もそれに共感するのだ
これが情緒的交流である(その場や、人に心を動かされる)
ASDは自分目線しか無いかので
親族が悲しいは理解しているが
共感ができずに、心が動かされることはないのだ
送別会や懇親会、誕生日会など
主人公がいて、その人のことを考えて行われる会というのが理解しにくい
主人公にとっては意味のある会なのだが
それを理解できずに、ASD本人にとっては意味のない会なのだ
『誕生日とか意味はない
だから妻の誕生日とか祝う意味がわからない』
となってしまう
大事なのは妻が誕生日を楽しみにしているかなのだ
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