恐れるべきは高市政権というより、正誤のジャッジの怪しい、知性を欠く有権者がかなりの数を占めている現実である。これを「またぞろ見下しか」と揶揄するのは正しくない。結局のところ問題はそこに尽きてしまうからだ。なぜならいくら懇切丁寧に正論を練って打てど、それを正論と判断する能力がない。