"頑張ってる"と"無理をする"の境界線ってなんだと思いますか。どれだけしたら、自分は頑張ってると認めてあげられますか。 回答数 30>>
自分の個人的な意見なんですが、結果が出てるか出てないかは自分的にはさほど関係ないと思います。どちらかと言うと楽しめたか、やりきれたかのほうが自分は大事だなと思います。もちろん世の中には悲しくも結果を重視する人が多い印象です、実際に自分も何回もそういうので悔しい経験をしました。ですが、結局他人は結果しか分からないからそこで頑張ったか頑張ってないかの判断をするしかないんだと思います。判断する側もきっと難しいですよね、これは悔しいんですけどよくよく考えると評価する人達は、頑張っていた過程をどうしても想像の範囲でしか考えられないから結局は結果が1番になってしまうんだと思います。でも、努力している本人、頑張っている本人はその過程も評価の材料に入れられます。なので他人に例えば結果だけを見て評価されたらその内容に努力点を自分の中でこっそり追加してあげればいいと思います、それを足して出た結果が本当の頑張った結果になるんだと思います。あと、頑張ってると無理するの境界線ですが自分はそれは終わったあとの体感が1番分かりやすいのではと思っています。頑張った後は、『楽しかったな、でも疲れたーーー』となるような気がします。でも、無理した後は、『あぁ、、、疲れたな、やりきったか、、、』となるような気がします。違いは、楽しさや嬉しさも一緒に感じるまたは一番初めに感じるのが楽しさや嬉しさというのが頑張ったというもので、無理したは疲れが最初に来るものかなと個人的には思います。難しい話題ですね、結局は自分の中で自分と話し合って折り合いをつけていくのがベストだと思います。あと、どれだけしたら頑張ったって認められるかって書いてありますけど何かをしようと思った時点でもう頑張ってます。それに向かって努力し始めた時点で、練習するでも一歩歩いたらもう褒めて認めてあげていいと思います。最初の一歩ってすごく勇気がいることでそして労力もすごく使うことだと思うので褒めてあげてください。結局、自分の頑張りが分かるのって自分しか居ないので。上手く認める方法が分からなかったら信用できる人に頼るのもいいと思います。長くなってすみません。
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自分の個人的な意見なんですが、結果が出てるか出てないかは自分的にはさほど関係ないと思います。どちらかと言うと楽しめたか、やりきれたかのほうが自分は大事だなと思います。もちろん世の中には悲しくも結果を重視する人が多い印象です、実際に自分も何回もそういうので悔しい経験をしました。ですが、結局他人は結果しか分からないからそこで頑張ったか頑張ってないかの判断をするしかないんだと思います。判断する側もきっと難しいですよね、これは悔しいんですけどよくよく考えると評価する人達は、頑張っていた過程をどうしても想像の範囲でしか考えられないから結局は結果が1番になってしまうんだと思います。でも、努力している本人、頑張っている本人はその過程も評価の材料に入れられます。なので他人に例えば結果だけを見て評価されたらその内容に努力点を自分の中でこっそり追加してあげればいいと思います、それを足して出た結果が本当の頑張った結果になるんだと思います。あと、頑張ってると無理するの境界線ですが自分はそれは終わったあとの体感が1番分かりやすいのではと思っています。頑張った後は、『楽しかったな、でも疲れたーーー』となるような気がします。でも、無理した後は、『あぁ、、、疲れたな、やりきったか、、、』となるような気がします。違いは、楽しさや嬉しさも一緒に感じるまたは一番初めに感じるのが楽しさや嬉しさというのが頑張ったというもので、無理したは疲れが最初に来るものかなと個人的には思います。難しい話題ですね、結局は自分の中で自分と話し合って折り合いをつけていくのがベストだと思います。あと、どれだけしたら頑張ったって認められるかって書いてありますけど何かをしようと思った時点でもう頑張ってます。それに向かって努力し始めた時点で、練習するでも一歩歩いたらもう褒めて認めてあげていいと思います。最初の一歩ってすごく勇気がいることでそして労力もすごく使うことだと思うので褒めてあげてください。結局、自分の頑張りが分かるのって自分しか居ないので。上手く認める方法が分からなかったら信用できる人に頼るのもいいと思います。長くなってすみません。