「推」という漢字を選択している時点でそうなのだろうけど、“推し活”には個人で完結可能な対象への好意や敬意、あるいは執着や探究心といった側面が希薄で、対象もしくは自分をアピールする相手たる第三者の存在が常に意識されているのだと思う。(語弊を恐れず言えば)女社会的文化なのかもしれない。