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ニバ

ニバ

呉智英という人間がいましたが、ちょっと引用します。

「おそらく日本中で私一人が、団塊の世代のはしりであり、全共闘体験もある私一人が、差別は正しいと言っている。差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい、と。人類が目指すべきは「差別もある明るい社会」である。差別さえない暗黒社会にしてはならない、と。」

極端になりますが、
①差別を自覚してそれでも必要な事だと思って差別だと名言し差別をする人間

②差別をしている、差別になるかもしれない戦略をしている自覚があるのに、差別とは絶対に認めないしそうなる可能性もない詭弁を使う人間

は違うし、それを支持することも意味が全く違うということです。

西部邁も呉智英も筒井康隆も自分の言動や性質の一部が「差別であるかもしれない」「差別である」ことを自覚していたし、そう明言してもいました。

ここまでの政策や発言をして、最低限差別する、していますと明言する覚悟もない人間を(ましてや政治家ですよ?)支持できるわけないじゃないですか。

改めて不思議ですが、参政党は本当に差別も差別発言も、そんな思想さえないと思いますか?
自分たちの言動や政策が差別になる可能性の覚悟を支持者に名言する必要もないほど、「危ないこと」さえもしていませんか?
GRAVITY8
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コメント

シン

シン

1 GRAVITY

①と②の他に、 無意識的に差別をすること、差別の社会構造に加担したり、黙認したりすることを自覚しつつ、それでも「差別反対」を訴える。 周囲からの自分に対する差別加担言動の指摘を甘んじて受け止めて、自己をアップデートしていく。 という戦略も可能では?

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ニバ
ニバ
コメントありがとうございます。 投稿にあるようにあくまでも極端な例として①と②を上げました。 わかりにくい文章ですみません。 スプートニク・シンさんのおっしゃるような戦略が正直一番現実的だと思います。
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ゆらぎねこ

ゆらぎねこ

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小学生の頃から差別ではなく区別という人がいたんですけど そういう人はあんまり 信用できません はっきり 差別してると言った方がマシな方です

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ニバ
ニバ
コメントありがとうございます。 そうなんですよね、差別だけじゃなくても、いじめでもそうなんですがまあ詭弁を弄すなということです。そしてそれが目指すべきベストということではなく、あくまでもそっちの方が「マシ」という意味で。
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とうり

とうり

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①をやるわけないじゃん。大きく攻められる要素を作ってどうする。 そんな意味もない上に有害な事を「必要な覚悟」として欲する支持者を参政党は外すようにしてるんじゃないですかね。

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ニバ
ニバ
コメントありがとうございます。 投稿にあるように「極端になりますが」という例です。
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ぷんぷん丸

ぷんぷん丸

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寛容性のパラドクスみたいな事ですよね?

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ニバ
ニバ
コメントありがとうございます。 個人的には寛容と不寛容というは恣意的なものなので、このパラドックスの理屈はわかるのですが、安易に使うのは危険だなとは思ってます。特に差別に関しては。ただ、仰りたいことはわかります。この投稿の意味は、差別を戦略として使うなら自覚するべきだし、自覚しているなら差別していると言え、という社会的立場への「責任」と「覚悟」というニュアンスです。
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呉智英という人間がいましたが、ちょっと引用します。