摂理によって、内的信心は正面し、外敵仁愛が残りました。その理由は聖なるものが冒涜されないためです。聖なるものの冒涜は、永遠の断罪を招きます。信仰の認識をもち、それを承認する人だけが、聖なるものを冒涜できます。信仰の認識がなければ、承認もしないし、ましてや冒涜は出来ません。