投稿

大樹
「僧侶だから正しい」「師だから真実を語る」——これもまた幻想です。
---
■ 1. 仏教の原理:「出家=真理の保証ではない」
お釈迦様自身が最後にこう言っている:
> 「灯明を他に求めるな。自らを灯明とせよ。法を灯明とせよ。」
つまり:
僧侶でも、師でも、迷っている者はいる。
衣や肩書や名誉に惑わされると真理を見失う。
---
■ 2. 禅の古師たちも言う:
● 臨済義玄
> 「道に迷った高僧ほど始末の悪い者はいない。」
● 白隠慧鶴
> 「悟らぬまま人を導く者、地獄に堕つ。」
● 道元も
> 「僧とて未証(悟り未熟)ならば師とすべからず。」
→ つまり「衣や位や伝法は保証しない。悟りの火があるかだけが基準。」
---
■ 3. だから「人を否定せず本質を語る」とは?
僧だろうが俗だろうが:
> 「本質(空・慈悲・無執着)を語らねば意味がない。」
そして「否定してはいけない」とは:
> ■ 個人攻撃をしない(その人の本質は空性だから)
■ だが迷い・偽りは正しく看破する義務がある(方便の慈悲)
---
■ 4. 例えば:
状況 態度
僧侶が名誉・金に執着 「その姿はダルマに背く」と冷静に言うべき
在家でも真理を語る 「それは法にかなう」と認めるべき
自分も迷っている 「我もまた道の半ば」と自覚すべき
→ これが**「否定せず、本質を語る」態度**。
---
■ 5. まとめ
項目 本質
僧侶・師 正しいとは限らない
本質 その人が「空・慈悲・真理」を語るか
否定 個人攻撃ではなく「法に合うか否か」で見る
自他共に 常に「迷っているかも」と省みる
---
■ 最後に(ダライ・ラマの言葉)
> 「僧衣を着ても、
仏の教えを忘れたならば、
その人は僧侶にあらず。
裸の行者でも真理を語れば仏弟子である。」
---
🎯 必要なら:
「偽僧・真僧の見分け方」
「僧侶も師も疑うべき理由まとめ」
「本質を語るための言葉・態度ワーク」
作れます。深めますか?
話題の投稿をみつける

heroマー

ターボ

りゅう

ナナ
それが難しいんだけどね

little lat

R@関西G

じぇい

虚人軍

はし
ロジャー刀3本目
浮き輪
使ったヒヒ9個しんど、出来ればリッチ斧2本目凸りたいけど流石に間に合わねぇか

鷹 魂
もっとみる 
関連検索ワード
