要するに、西洋の人間が自らの西洋的出自を解体することと、東洋の人間が歴史を支配した西洋的価値を解体することとは、解体の対象は同じであっても、行為の本質としては全く別の事柄となる。西洋人が推し進めた西洋的価値の解体を、東洋人が東洋的に引き継ぐことには歪なオクシデンタリズムがある。