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ササミ小路ムネ熱
という投稿を某SNSで見かけた。
統計学的に考えれば瞬時にわかることだが、統計をとる以前に「近年Aが多い」を測定するには「A」を定義する必要がある。
未定義の要素について統計をとることは不可能だからだ。
必然、「常識」とは何か、とう問いが生まれ、以下のような帰結となる。
【この事象は以下の4つの可能性が考えられる】
①親は変化ナシ:常識も変化ナシ
②親が下方に変化:常識が上方に変化
③親は変化ナシ:常識が上方に変化
④ 親が下方に変化、常識は変化ナシ
言うまでもなく、投稿者の主張は④
ところで、「常識」が時代とともに変化しない。などということはあり得るのだろうか。
親も親でない人も、よく考えた方がいいと思う。
コメント
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ボロ

りこり
残りの座席みたらすごい減ってたから会える人いるかな?会おう!!
たくさんJAMいるの嬉しい

💡こま

てじ
やべえな藤川球児、マジックついて覚醒したか、とち狂ったか

ソボテ

🍺大暴

光¨̮

くろば

デク・

ゆう
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うに
個人的に現実は③な気がします。非常識な人間はいつどの時代・どの環境でも一定数いる(非常識の定義にもよるが、非常識な性格はそうそう変わらないであろうことから) 今はSNSなどで愚痴を吐けるようになり、おかしな人や愚行ばかりに注目が行くようになった。 ましてコンプラコンプラうるさい社会になった。(もちろん子育てはちゃんとすべき) あくまで個人の感想ですが
ASH
常識というのは個体ごとに変わるので、当該主張は、その相性が合う、もしくは近似である人が減ったと言い換えることが可能かと思います。 これは常識や考え方が多様性を持つようになったことを原因と考えるとひとまずの辻褄が合います。 従って当該主張の「常識のない(=私の常識と合わない)親が多すぎて関わりたくない」という論理自体は至極自然に成立するものになります。 誤りがあるとしたら、「常識が合わない」ことを「常識がない」と批判的に表現していて、まるで自らの常識が上位であるような含意を持ってしまっている点ではないかなと思います。
バディ
というかそもそも、ツーオペで親の全責任において子供を育てられると思ってる今の社会が異常なんですよね。 ホモサピは数家族で家事・育児を協力分担して行うように設計された動物であって、その遺伝子は何十万年も変わってない。テクノロジーの解決も全然追いついてないどころか核家族化や友人関係の希薄化で悪化してる。 そもそもふたりなんかじゃマンパワー足りなさすぎるんすわ。
こみみ
統計学で主張するのなんかオモロみある[泣き笑い]
タカ坊
親になってもいない、そのコミニュティに属していないのにこういう事言う人、 自分自身が一般的な常識に適応出来ないだけの人が多い印象。