その欲求自体はあり得るのだろうが、それは契約的異常であることを自覚、内省すれど、美化したり正当化するのはおそらく誰にも許されないし、そのうえで好意を向け返したものへのヘイトなんてのはもってのほかであることを自覚的にならないといけないはず