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主人公が男性の局部を丹念に調べ上げデッサンを繰り返し、観察眼と解像度が上がって世界が高精細に見えたことで『世界がわかってきたかもしれない』と感じる現象が描かれてる
それは美術方面ある程度ちゃんとやったことある人は覚えのある感覚だと思うのだけど、私はこの感覚を本質的に自覚するのに十年以上かかって今やっとスタートラインに立ってるような気がする
小手先の器用さがあったから、人のを見たりしてうまさを再現できたから、そこそこ上手い風になっていただけで本当は何も見てはいなかったし、『何かが足りない』ものを生産し続けてる
費やしてる量も時間も熱量も足りないから当然ですが
絵は勉強してないが、親はその辺客観的に見てわかってて、他人の方が私の実力や素質見えてたじゃんね
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ゴール裏のこういう排他的な感じがものすごく嫌い。
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