投稿

あき
小さい頃は神様がいて♪
という歌があると思います。
父は何日も帰ってこないことがよくありました。弟と自分の食事を気にしていた私はよく神様に祈っていたように思います。
そして何とかなっていました。
中学生になると学校に給食はありませんでした。私は料理ができないし、家に食材も特に無いので、たいていご飯をしきつめてふりかけをかけるだけ。
それを見たクラスの女の子の何人かが
「あたしがお弁当作る日はあきのも作ってあげるよ」
と交代でお弁当を持ってきてくれるようになりました。
そして、私はお礼としてその子の家に勉強を教えに行く。
中学生になると、女の子の家に行くと向こうの母親の反応が違ってきます。それを敏感に察したので、本気で勉強を教えましたし、生徒会には進んで立候補しました。書記、副会長、会長となると女の子の母親の顔に安心感のようなものを感じられ、夕食にも呼んでくれるようになりました。
友達に勉強を教えるのは、自分で勉強するのとはまったく視点が違います。自分にとっては当たり前でわかりきったことでも、相手にはわからない。何がわからないかを追究していくことは、逆に自分にとっての学びになり、より深く勉強できるようになったように思います。
そして、中2の3学期、もう制服のブレザーが小さ過ぎて着られなくなりました、2万3千円ほど。
父に何度か言いましたが「わかった」というばかり。神様に祈りました。
「パパが制服のお金をくれますように」
でもふと気づきます。父に直接言えばいいんだと。でもいくら言ってもお金をくれません。
それを繰り返していました。
学校に11人兄弟の友達がいました。彼の兄弟はみんな新聞配達をしていました。新聞配達のバイトは中学生でもできます。彼に聞いてみました。夏休みの8月だけ朝刊の配達をやらせてもらえないかと。彼からは1ヶ月だけはあれだから7月8月の2ヶ月ならいいよだってとのこと。
そして、2ヶ月父に内緒で朝刊の配達を。同じ部屋で寝ているのに、父が寝ている間に朝刊を配りに行って父が寝ている間に戻ったのでした。
7月が終わると3万5千円の現金を手にしました。もうこれで制服が買えます。この時の達成感と安心感は大きなものでした。
私は壁は自ら行動して乗り越えて行くことを覚えたのです。
そして、私の世界から神様は消えました。
(終)
コメント
話題の投稿をみつける

アオム

あちぇ

水餅🍖

ロケッ

じろう

なんみ
とか言いつつ、今からイオンウォーターとスフレサンドをいただきます。
六本木21時公演より帰宅が早いぜー!

キット
#乃木坂の史緒里

あじま

なぎ

れん🍋
#レコメン
#吉田仁人 #MILK #MǃLK
もっとみる 
関連検索ワード

すー
母親の反応が変わってきても、引かないでより真剣に教えるその行動から、感謝を本気で伝えようという意志が見えました。素晴らしいことですね 🥹
みぃ🌟
勉強を教える事で学びが深くなる。。。[穏やか] そうですよね。 中学生でアルバイト。 制服を買ったのですか?? 私は高校生の時に学費が必要でアルバイトしましたが、、父のパチンコ代にいつも盗られました[ショック]。。。 生まる場所選べないなんて。。 その時の経験があるからと思えるあきさんは凄いです。 私はまだ思えません[ショック]
かえで
泣けてきました[大泣き] そしてお父さんに残ったお金を取られてしまったなんて酷い[大泣き] あきさんが非行に走ることなく自立の道を歩んだことが立派だと思いました