共感で繋がるSNS
GRAVITY(グラビティ) SNS

投稿

ロバの朝ごはん

ロバの朝ごはん

思うところあって、
しようもない雑談(だいたい互いの話を聞かず、自分が話す順番待ち)に参加しない。
自分からは私語をはじめない。
おしゃべり魔の高齢者に欲しがるもの(こちらのプライベートな情報、クソバイスの余地)を与えず、失礼の無い程度にドライにかわす。
と、いうことを一年くらい試したら、かなり自分の心を大切に扱えるようになった。
そして、人になんて思われても究極的にはどうでもいいよね。という考えを、経験の面からも確認でき、自分の在り方がクリアになった。
具体的には、やってみたいことが明確になり、それを行動に移しやすくなった。
別にあいさつもしないような奴になったわけじゃない。
ただ単に、自分が無駄だと思うようなおしゃべりで「自分を無駄遣い」することを辞めただけ。

雑談のステージから降りると、自身の空虚を埋めるために他者を利用している人々のことが心底きもちわるく感じはじめた。
「楽しい人」「親切な人」「優しい人」「頼りになる人」「価値のある人」などなどでありたいがために、他者にせっせとおしゃべりをしている。思い通りの反応を得て、理想の自分像のイメージを強化してほんのひととき安心する。
また、自分が面白いと思っている自分のエピソードを他者に話すことで、自分で自分の話を何度も聞いて喜んだり気持ちよくなったりしている。結局、自分の話を自分が聞きたいだけ。
これが、「おしゃべり」の形をとって他者を利用している人たちのしていること。

他者にも心があり、おしゃべりしたくない時もあれば他人のエピソードトークに相槌打つのが疲れる事もある。(話聞いてあげた時間の金払えよと思う事よくあった。)
何より「話に耳を傾ける」ということは、細やかな心遣いや知性が必要なことであり、エネルギーを使う。
自分の空虚を他者で埋めようとする人は、相手が「話し相手モード」のスイッチ入れて聞いてくれていることなど、夢にも思わず搾取し続ける。
自分っておもしろい。自分って親切。っていう妄想に、酔ってしまっているから。
わたしは、そんな気持ち悪い人たちに自分のエネルギーを与えません。
心と言葉が一致していない人への違和感もはっきりと感じるようになりました。
「出会いに感謝🙏✨」
など、SNSに毎度発表しなければ気が済まない方たちは(私が得をしそうな)出会いに感謝(するからもっとちょーだい!)かなと。
GRAVITY
GRAVITY2
話題の投稿をみつける
関連検索ワード

思うところあって、