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マリアリア

マリアリア

ふむ。
そもそも《ヴァニスタ》のNeinの作詞作曲はノエルではなく、R.E.V.O.なんだよな…R.E.V.Oは各《地平線(物語)》を否定した物語を紡いでいる。で、あるならば? 確かに《否定》を《否定》する物語であるNein(最果てのL)は、ノエルが《否定》を《否定》しなかった地平線《物語》である可能性は確かにあるか。 

R.E.V.Oの《主》はサンホラー的には地平線(物語)の紡ぎ手であるREVO陛下なわけだけども、陛下はサングラス姿で、Roman以降の主人公は陛下の《似て非なる人》なわけで、ノエルも同様。となると。私らサンホラーのいる、この現実世界さえも巻き込んで、サンホラの《モノガタリ》って…、ノエル→R.E.V.O=Revo陛下→R.E.V.O…でひたすら《似て非なる地平線》をぐるぐるしている?
あれ、じゃあもしかして、Neinが本当に否定したいのはノエルの物語自体…?

そうか、そもそも「"主《(アナタ》が残した? → 《地平線(物語)》の中"から → 《可能性を探してみよう…」「"主《アナタ》が紡いだ? →この悲劇の中"から → 幸せな結末を導いてみよう…」「《主(アナタ》が繋いだ? 運命(さだめ)の檻の外へと → 鎖ざされた箱庭を → 抜けだしてみよう…」だもんな。
なぜ「?」がつくのか。それは《R.E.V.O(ワタシ)》自身にも、その《地平線(物語)》を紡いだのが《主》であったのか、それとも別の《R.E.V.O(ワタシ)》であったのかわからないから。
《R.E.V.O(ワタシ)》とは《R.E.V.O》であり《ワタシ》であり、《幻想の神々(ローラン)》である。《R.E.V.O(ワタシ)》とはつまり《観測者》である。観測者は《地平線物語》を《観測》する者であり、つまりはローラン(=リスナー)だ。同時に《異なる地平線(楽曲)》を観測し、生み出していく《主》である。というのも、要はワタシたちそのものが猫箱の中を決定づける存在であり、《地平線(物語)》は観測者によって観測されなければ存在し得ない。
…そして、それらのモノガタリを決定付けるのはワタシたちであり、モノガタリの真実は明かされていない。要は《ワタシたち自身》が《猫箱》の中に存在する猫であり、観測者であるのだ、としたら…?
ローランが考察をして様々なifを描くことは、そのままノエルの否定になる?
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コメント

マヌル

マヌル

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めっちゃ楽しい考察です! 自分もその辺のことひたすら考えたりして、物語を追求すればするほど、ネガティブな結末になってしまって、そういう考えが結果的に物語を悲劇に導いてしまってるのではないかとなった時、戦慄しました…。

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マリアリア
マリアリア
コメントありがとうございます。 わたしは悲劇ではないと思いますね。言葉で表すなら、矛盾劇(箱の中の物語)というべきか。 まず、前提として自分は生きることができたイヴェール=ヴァニスタノエルだと思っています。なぜなら、アルバムでは朝夜の姫君たちの役割が逆転しているから。つまり、生死の意味(物語)が逆転しているのだろう、と。 「こんなこ(となら)うまなければよかった」→黄昏の賢者でサヴァンが「自分の生を否定するなら更なる痛みを産むではないが、自分の死を肯定するならその子もまた生を愛すだろう」と言っている通り、「母親に“生を否定“された(と思い込んでいる)」が故にヴァニスタノエルには「痛み」が生まれ
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