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りら🌙
(もっとみる以降ネタバレ注意)
「息をとめていたので平気でした」
何かの欲望を、自らの感情を投影せず人と対峙することは難しい。
手島日波里、14歳。これは主人公不在の物語。
日波里を語るのは、善人ではないことを自覚している人々と、自らが善人であることを信じて疑わない人々である。日波里が自らの言葉で語ることはほとんどない。「勝手に閉じている」と称された日波里は、本作品において何を考えているのかわからないようなある種の不気味さを醸し出しており、彼女をめぐるある疑惑を通して、登場人物たちの感情が徐々に浮き彫りになっていくのに対して、日波里は一つの像を結ぶことはない。
「値段のついてる『おんなのこ』…あたしとは違ういきもの」
「男前」「クール」と称される富子は、「女」として価値づけられないことにコンプレックスを抱えている。憲人からかけられた「同じ女だろ」という言葉に強い反発を覚えるも、恋人の完に「同じ顔」と思わせたのは、値段をつけられないということも、つけられることと等しく「選ばれ」側であることを意味しているからであろう。ただ、富子は日波里の状況を理解しながら彼女を傷つけ、助けない選択をする。
一見大人びた外見に反して、おどおどとした日波里の態度は女性や少女に敵意を抱かせ、中でも美知花の「―あ、ミツノアジ」という内語は、日波里に自らの感情を投影していることがあらわになったシーンだと言えよう。
珍しく日波里が長く語るセリフ。「…ちがうのかな。わかんなくて。でも…あたしがわるいから…わるいんです」という言葉は切々としていながらも、年齢にそぐわない幼さがあるようにも思える(セリフはひらがなで記載)。
相川が「なんか思ってたのと違う」といったのは、日波里を自分の欲望を反映する鏡としてしか見ていなかったことを表している。憲人の独白、「これは誰だ?」も同様、これを認識した瞬間の言葉なのである。家庭内でも、ひばりが自分の感情を率直に表明することを許されなかっただろうことは想像に難くない。つまり、徹底的に受動的な存在であることを求められたが故に自らを語る言葉を持ち得なかったと考えられる。そして、それがさらに対等であることを難しくさせてしまう。

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りら🌙 投稿者
「無償の愛ってあると思う?」 「どうなったら助かったって言えるのかな?」 彼女がはっきりと喋るのはこれらの問いかけだが、結局物語中で明確に答えられるものはいなかった。 善人ではないことを自覚している人々は彼女に別れを告げる。が、自らが善人であることを信じて疑わない人々は彼女が飛び立ったことすら知らない、今後も。 この物語をはじめとして、逃走は超越を想起させる。物語からもフレームアウトすることで、日波里は一方向的な視線を、投影を拒否し、この世界に置き去りにされたのはむしろ私たちの方なのだと思う。 いかなければ さもなくば 死んでしまう
1999
ヤマシタトモコさんの作品、昔読んだなあ。HER、ドントクライガール、バターを途中まで。 また読みたくなってきた。
ブチコ🐎
うちの娘の名前が「ひばり」なのでつい反応してしまう…
あおさば
ネタバレありとのことで写真だけ拝見しましたが、このコピーは惹かれますね これ、店頭で見かけたら私、買っちゃうやつだなー
#朗読会るぴなす💠
りら🌙さんも同じことを感じるときがありますか?つまり、紡いだ言葉や込めた想いとは裏腹に、人々は各々自分の中の何かを少なからず投影するからこそ、共感していいねをつけるわけですが、その投影は少しずつズレていくのは否めないというか、ある種必然かもしれません。そのことに対してどう感じていますか? (ときには文字を読めているのか怪しい人もいたりするのがインターネットですからね)