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Peirce
《idea》解説
①希:ἰδέα(イデアー)→②拉:idea(イデアー)→③仏:idée(イデー)=英:idea(アイディア)=④独:idee(イデー)→和:観念、想(念)、理想、理念、考、イデア(アイディア)、等々。
①(ギリシャ語)日常における意味:形(form);実在(reality)に対して、物(thing)の見掛(look)もしくは仮象(semblance);種別(kind)
プラトン派哲学もしくは類似のイデア主義的思想に於ける意味:原型(archetype)、もしくは純粋な非物質的型(immaterial pattern)で、任意の一の自然クラス(natural class)に属する個物的対象(individual objects)は、この型の不完全なコピーにほかならない。そしてこれらはこのイデアに分有すること(participation)によって有る(be)。この意味において、はじめて「プラトニック」(Platonic)の形容詞をつけることができる。[解説:個物(目の前のモノ)はイデア(理想的な型)を分有(一部をわけまえとして持つ)することで、そのモノが「その自然種(人間の都合による分類ではなくて、自然界の側で「同種」とみなせるグループ)のモノ」として成りたつ、ということ。たとえばこの花が「美しい」というのは、花が「美」のイデアを分有している、つまり美そのものをすこし受け取っているのだ、とみる。またたとえばこの行為が「正しい」というのは、この行為が「正(義)」のイデアを分有しているのだ、と見る。肝腎なのは、存在(有)の根拠までイデア側に置いているということである。]
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② (ラテン語)初出はキケロ『セネカ』である。ウィリアム・ハミルトン卿の言に拠れば、デカルトの時代を待つまで、①の意義即ちプラトニックの意義に於いて用いられた。
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③(フランス語・英語・ドイツ語)土語に於ける意味(一六世紀中葉から。文学でよく見られる意義):心的(mental)な図(image)もしくは像(picture)
デカルトの、もしくはイギリス哲学者たちの用語に於ける意味:所思(thought)の無媒介的対象(immediate object)——即ち感ずる(feel)時に感ずるところ、もしくは空想する(fancy)時に空想するところ、またもしくは思う時に思うところ——であって、約めていえば、何であれ悟性(understanding)中に有るもの、および認識的意識(cognitive consciousness)に直接現前(present)しているもの。
[解説:端的にいえば、心に直接現れて来ているもののすべて、ということ。たとえばリンゴという物(1)を見て、心には「赤い」「丸い」「つやつや」「甘そう」等の経験が起る(2)。上にややこしく定義したのは、イデアというものは(1)ではないということを強調するため。(1)は直接的でもなければ、無媒介的(ぴったり=間に何ものもない)でもない。心にぴったりくっついているのはリンゴという外物ではなくて、(2)の経験そのものである。外物は心に対して、間接的でもあり媒介的でもある。なぜならイデアが間にはさまっている。]
[附記:バークリ Berkeley とヒューム Hume とは、イデアに対応する外物の有無を問わない。レイド Reid 、デュガルド・スチュアート Dugald Stuart 等(スコットランド常識学派)は、イデアを以て実物(real thing)及び心(mind)とは異なるが、これらの間を媒介する対象としている。しかしヒュームはいくぶんか特異な意義に於いてこの語を用いた。再生(reproduce)されて加工(work over)された感覚(sensation)の義に於いて用いた(ヒュームにあっては、心の直接対象は印象(impression)だからである)。]
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④(ドイツ語、術語)カント哲学に於ける意味:理性(reason)のなす概念(conception)にして、その対象があらゆる可能的経験(possible experience)を超越(transcend)するもの。たとえば〈神〉(God)、〈自由意志〉(Freedom of Will)、〈不死性〉(Immortality)。
ヘーゲル哲学に於ける意味:絶対的真理(absolute truth)にして、此に於いて存在(exist)するところのあらゆる物が表出——実現されたイデアル、即ち己自身の存在を含めた本質(essence)であるもの。この意味に於いては、通例定冠詞が付される。他のアプリオリ哲学にあっては、めざさるべき完全性(perfection)についての概念化であって、観察されるいかなる物にも対応せずして、これより先充分に実現されることはない。
[解説:カントの用法は日本語では「理念」と訳される。この理念は理性のつくる把握で、だからわれわれはこの把握をもたざるをえないわけだが、その把握を確かめることができない。経験でもって確かめられる領域にないから。だから理念は、事実や知識をふやしてゆく道具ではなく、われわれの認識を統一してゆくための目標である。ヘーゲルにとっての「理念」(the Idea)は完全無欠の真理であって、世界に存在するあらゆるものは、この真理が現実にあらわれたものである。この義においては、理念はわれわれの心の中にある理想(カント)ではなく、現実そのものの骨格である。]
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Peirce 投稿者
一応断っておきますが、上に挙げた意味以外のものも当然あります。
𝐬𝐚𝐨𝐫𝐢
フッサールが抜けていますよ、重要だと思うのですが、ですが。