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小太郎

小太郎

鬱の友人へ、鬱が寛解しそうな自分がどう声をかけるべきか、悩んでいます。
自分の経験の話をします。
自虐的、自己犠牲的な仕事の仕方をしてしまう。正しさとか、正義とか、正当性とか、そうものにすがってしまう。
他人がやるか、自分がやるかの帰路に立たされた時、自分を犠牲にした方が、相手に辛い思いさせるぐらいなら…とか、心苦しくないし、そっちの方が逆に楽だと思ってしまう。
結果、最終的に自分の身が持たない。
逆に相手が、本人が負担かかりすぎない様に、上手にかわせる考え方の人だったりした場合、相手が無自覚だったり悪意が無い場合でもずっと自分が飲み込み続けることになる。結果自分がすり減って疲弊していく。
相手への不満、苛立ち、怒り、下手したら恨みで心は燃えている。燃えた後は燃えカスになる。

ここまでの異常性、なぜ自分が自己犠牲的なのか、それの考え方はやるべきではないのでは?ということに気付けたとして。
やっかいなのが、自分の正当性を正しいと、主張できる気力が枯渇しているというところだ。
「そういう風に考えてしまう自分が間違っている。相手は悪くない」「自分がもっと頑張らないからダメなんだ」
と、脱出への梯子がかかっていたとしても、自分で外してしまう。
相手を呪ってしまった自分に、その罪悪感がカウンターとして跳ね返ってくる。
その連鎖で、心はすり減っていく。
そういう袋小路に陥った人間に、無自覚な人間の
「自分のことを鬱だと言う人間は甘えている」
「お前はお前が思っている以上にキャパが低い」
と言った無自覚な言葉が飛んできたり。
そんな普通の感想が、自分が異常であると責め立てる
友人も自分と同じと思うと、助けてあげたいと思うのですが、どう伝えていいのか、伝えるべきなのかもわかりません。
アドバイスお願いします。
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