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マルボロマン
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臼井優
三筆(平安初期)
人物: 空海(弘法大師)、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)。
書風: 遣唐使を通じて伝わった唐の書風(唐風)を取り入れ、力強く、中国の雰囲気を強く残す書風。
特徴: 日本書道の発展の初期段階で、中国の書を日本に紹介した「先駆者」的な存在。
三蹟(平安中期)
人物: 小野道風(おののみちかぜ)、藤原佐理(ふじわらのすけまさ)、藤原行成(ふじわらのゆきなり)。
書風: 遣唐使廃止後の国風文化の中で、中国の書を日本風に消化した「和様(わよう)」と呼ばれる独自の書風を確立。
特徴: 仮名文字が発達した時代に、日本らしい優美で流麗な書風(和様)を確立し、その後の日本書道の基礎(世尊寺流など)を築いた「確立者」。
まとめ
三筆: 中国の影響(唐風)。
三蹟: 日本独自の様式(和様)の創始者。
時代: 三筆が三蹟より少し前の時代。
この二つは、平安時代の書道の流れの中で「中国風から日本風へ」と変化していく様子を示す、非常に重要なグループと言えます。

臼井優
宗教・仏教関係
真言宗の開祖:唐で密教を学び、日本に真言密教を体系化し広めました。
寺院の建立:高野山金剛峯寺や東寺(教王護国寺)を創建し、真言密教の拠点としました。
国家鎮護:祈祷を通じて国家の安寧を祈り、朝廷からも厚い信頼を得ました。
教育・文化関係
綜芸種智院の設立:身分に関わらず誰でも学べる日本初の私立学校を創設し、庶民教育の道を開きました。
日本への知識伝達:唐から多くの仏教経典や知識を持ち帰り、文化発展に貢献しました。
芸術・技術関係
書道:嵯峨天皇、橘逸勢と共に**「三筆」**に数えられ、「弘法筆を選ばず」の言葉で知られる書家です。
土木技術:満濃池(香川県)の大改修工事を指揮し、1200年経った今も使われるアーチ型堤防を完成させました。
その他
著作:『十住心論』、『弁顕密二教論』などで密教思想を確立しました。
伝説:温泉の開湯や四国八十八ヶ所巡礼の開祖など、多くの伝説が残されています。
空海は、これら多岐にわたる分野で「即身成仏(現世で仏になる)」の教えを実践し、人々の救済と文化の向上に生涯を捧げた、平安初期を代表する偉大な人物です。

まさあき工場長


へな
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wata

●ごま●

臼井優
金剛力士像と相撲のつながり
力士のモデル: 運慶らの金剛力士像は、口髭をたくわえ、筋肉隆々で、歯を見せて下唇を噛むなど、当時の力士の風貌やポーズを写しており、親しみやすい「力士(すもうびと)」の姿として造形されました。
守護神と力士: 金剛力士は仏敵を威圧する武神であり、寺院の山門を守る「ガードマン」の役割をしますが、その力強い姿が、健康・健脚・力強さの象徴として、相撲の力士像と共通する意味合いを持ちます。
阿形・吽形のポーズ: 右手に拳を下向きに突き出し、左手を胸前に構えるポーズは、力士の構え(立ち合い前の体勢)にも通じるものがあり、威厳と迫力を生んでいます。
伝統と現代: 仏教伝来の守護神である金剛力士像の力強い姿は、日本の土着の力比べの文化である相撲と融合し、鎌倉時代以降、力士像として親しまれるようになり、現代の相撲のイメージにも繋がっています。
具体例
東大寺南大門の仁王像: 鎌倉時代の仏師・運慶らが、当時の力士をモデルに、筋肉の隆起や血管まで細かく表現した、力強い傑作として知られています。
現代の金剛力士像: 彫刻家が大横綱・北の湖関をモデルに制作した総持寺の仁王像など、現代でも相撲力士をモデルにした金剛力士像が制作されることがあります。
このように、金剛力士像は単なる仏教の守護神に留まらず、日本の力士文化や相撲の力強さと密接に結びつき、その姿は時代を超えて人々に親しまれています。
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