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パンちゃん
ここを見ていると、そんな既婚子持ち女性でも他の男とは恋愛できるようだ。
男性もしかり。
という事は、結婚という制度がダメなのか?
コメント
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ひよこ

emi
色々あったけどなんだかんだで知り合って8年
嫌いなヤツとは口もききたくねぇ
とよく言っているあなたなので、
まぁ私のことは嫌いではないんでしょうね笑
たまーにうちに来ながら買ってきてくれるカフェラテ☕️嬉しいですありがとう
もういらない、と言われるまでは毎日お弁当つくりますね😎




niji
極論は自分の人生なのだから人に指図される謂れはない。(周りの人がどう思うかも自由)
自分で選んだ道なら結果はどうあれ後々納得感はあると思う。

ラビッ兎
他者を救える、或いは他者が救ってくれる、などという傲慢は慎むべきであり、他責というナンセンスは人生から排除せねばなるまい。
例えば、私も君も、友人を救うことなど出来ない。
友人の苦しみを請け負うこともできなければ、友人の痛みを理解することも、友人の人生を生きることだって出来ない。
しかし、友人のそばに立ち、黙って友人を指差し、友人を救えるのは友人の主体性という意思のみであることを示すことは出来る。
我々の友人は自ら思考し選択できる主体であり、他者に同情され弱者というレッテルを貼られる客体ではなく、維持する主体なのだと、信じることが出来る。
つまり、誇り高く生きる道を示すことは出来る。
それは、私や君にも同様にいえることだ。
我々は意思によって、外部の環境や他者を変えることは出来なくとも、環境や人間関係を選択し、自らがどう生きるかだけは自己責任によって選択できる独立した個人である。
自由とは自己の責任の総量で決定される関数である。
問題に直面した君に対して、問題の解決において最も優先すべきことを無視し、安易で軽薄な同情によって君を弱者として固定化しようとする阿呆には中指を立ててやれ。
君が条件に隷属する奴隷でないならば、そのくらい、誇り高く生きなければならない。
そして、自らが気高く生きなのであれば、相応に、他者の尊厳を絶対的に信頼しなければならない。
また、尊厳を捨てた者はいずれ君の足枷となるだろう。腐敗した友の首を容赦無く切り捨てるのもまた、一つの慈悲であり尊重であり同時に自衛でもあるのだ。
何故ならば、我々は個人という名の独立国家を統治する責任義務を課せられているからである。
責任無きものに自由はなく、責任無き善は本質的に悪に傾倒している。無責任とは悪の凡庸さでもあるのだ。
我々を救うのは、常に、自己の意思のみである。
ぬら
あの世にいっても誰かの支えになることができるから
この世に何かを残すなら歌がよかった

よーこ
とりあえず帰るか
ガッカリよ
まあや

Aさん

めい
わざわざ東京行くのに、クリスマス1人なの?
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えるち

身代マ
今日は配信があるぜ
今日もまったり過ごしてこ〜

まおそ

るか銀

キャニ

か.

きゅあ

なかも

樋口小

デュラ
nimr駅でP&Rするのが運賃も考えると最適解だったり
ただこの前みたいにあずさが遅れたりするときつい
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きぃ
個人的な意見なんですけど、面倒くさいよりも家庭の共同経営者なんで自分の足で立って歩けって感覚ですね。 そもそもよそで女作ったり男作ったりするのはそいつ自身の倫理が終わってるだけで、いい年こいて色恋に走るとかみっともないな以外の感想がないです
shin
結婚が駄目というよりも、核家族制度のリソースが貧弱すぎるのかも?
つが
夫が大きい子供ならめんどくせぇってなるやつですな。ジョブチェンジしてくれないと