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いるむ
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への字
人より成長期が遅くて低身長だった中学1年のとき、
チビのくせにとか、小人とか、小さいのに頑張って走ってるとか
心もとないこと言われてチビは損しかないなと思った。自分を守るために背は必要。アホは何としてでも引きずりおろしてくる。
伸びたら何も言われんくなって安心した記憶ある。
私ができるだけ高身長の人と結婚したいのは子供を守るためでもある。

紫苑/しおん🐈⬛
回答数 40>>
正しい/間違い。
できている人/できていない自分。
こうした二項対立は、判断を速くし、短い安心感を与える。その一方で、思考の幅を狭め、自分自身の感覚を置き去りにする。
さらに「普通」「一般論」「あるべき姿」といった他人基準が重なると、人は自分の人生を、自分以外の物差しで測り始める。
ただし、比較そのものが悪なのではない。人が比較をするのは、多くの場合「もっと善く生きたい」という願いからだ。自分の位置を確かめ、前に進んでいると感じたい。その衝動は、ごく自然で人間的である。
ダイナマイトを開発したノーベルも、破壊を目的としていたわけではない。トンネル掘削を楽にしたいという願いがあった。価値を歪めたのは思考/道具ではなく、それをどう使うかという人の心だった。比較も同じで、自己確認の為に使われる限り、それは人生を支える道具になり得る。
問題が生じるのは、比較を用いて他人を貶めたり、支配しようとしたときだ。その瞬間、比較は安心を与える道具から、価値を歪める凶器へと変わる。そのリスクがあるから、人は「比較するな」と言葉を強めて止めるのだろう。
他人基準の二項対立を捨てれた時、
人は少しだけ自分に優しくなれる。
勝っているか負けているかではなく、
納得できているか。
正しいか間違いかではなく、
満たされているか。
コーヒーを味わう時、「あいつよりも俺の方が美味しいはずだ」と思って飲む人は少ない。多くの場合、「美味しいね」と感じられれば、それで十分だ。人生も同じで、比べて勝つ幸福と、ただ味わう幸福は別物である。
比較をやめることが目的なのではない。比較に縛られなくても生きられる瞬間を、少しずつ増やしていくこと。その先に、人は「正しい人」ではなく、自分の人生を生きる人として立っていられる。

無個性
そこも規制されたら詰むだろうけど
なつみかん

おにぎり
胸の中に、優しい暖かさがささやかに残っている。
相手は良いことをしたなんて一切思っていないだろう。
きっとこれくらい当然だろうと思っているはずだ。
ただその当たり前という感覚でさえ、僕の心を満たしてくれる。
#100文字小説

やまちゃん
回答数 47>>

エントロピー
本音の部分として日本人より別格にするコツはなくもなくて「お前らは色々と何もかもあめーんだよ」前々からSNSはこれがカセテキタ普通の事
なのに日本人はお前らと一緒にはされたくないだのどーのこーの、まあそれを言うのは自由だが
最終的に大事な事は「反省と改良する感覚が残ってるのかと、さらに大事なのは頭」なのよ
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