投稿
あやめ(小説の化け物
ヒトの心は十人十色、三者三葉で何一つも同じものはありえない。
当然だ。
しかし私の主張はこうだ。
「けれど全て設計図が存在する」
よくヒトの心は器に喩えられる。
コップやグラス、天秤の皿などだ。
思うにそれらは全て鋳造で作られている。粘土質の心もガラス製の心も黄金性の心も、どの器に喩えられる心もだ。
型に入れて、赤子の柔らかい身体みたく溶された液を流してカタチを取る。そういう鋳造のように心は作られている。
なぜ日本人の心は暴力を良しとしないのか?
なぜ戦争孤児は過激派イスラエルの戦士になるのか?
居る場所、用意された場所のヒトが作った環境に適応しなければ生き残ることは激しく困難だと言えるのだ。
海に生きるライオンは居ない、ないし、陸に生きるクジラはいないからだ。
重ねて敢えて凡なる事実を言えば、ヒトの心の際限は、海より優雅な深淵である。
陸より豊かな廟骨である。
そして豊かなタスクが多くあるのだ。
それは優しい顔をした暴君なり、あるいは厳しい顔をした内縁の女房から要求されるものだ。
もしくはどちらとも遠い同僚からもそうである事が多いだろう。
タスクとは精神の矯正である。
矯正とは屈辱である、ないし有終を伴った受容であるのだ。
この屈辱が動悸してヒトを機能させ、この受容が稀に報酬になり享受し結果として迎合に導く。
これをヒトは旨として環境に適応するよう、頭脳は作られている。
頭脳は苦痛を享受しない。
これはヒトが便利さを追及してきた歴史から明らかである。
故にヒトは苦痛を回避するように、環境や人物に対して御迎、逃避、攻撃のいずれかの行動に出ることがある、即ち環境への何らかのアプローチを行うのだ。
結果として環境に淘汰されるのか、ヒトによって評価されるのかを別にして、その動機は苦痛を減らして快適を求めることにある。
つまり心はそのようにして鋳造されていくのだ。
善きにしろ悪しきにしろ、ヒトは快適を求めて適応に向かっていく。
それが模範としてそして一般の通例として、義務教育の段階でモノの善し悪しの判断が出来るようになっているのだ。
ここでヒトは道徳と教養マナーを学ぶことがある。
この義務教育段階で学び矯正される倫理観の指導のプロセスをまとめて、私は設計図と断ずる。
最後に、この論拠を語るに至った経緯を話したいと思う。
一にも二にも、この設計図というニュアンスを使った上でその意図として語るべきことは1つしかなかった。
「この設計図こそ弱点ではないか?」
と警鐘を鳴らしていることだ。
心がこのように一定の角度を持っているのなら、携帯電話やPCのデジタル情報に侵入することができるように、設計図の虚をついて心に侵入することができてしまう。
その例として、あまり一般的ではないがプロパガンダという体系化された技術がある。より一般的な言葉に置き換えればフィーリングである。
設計図であるからこそ、このような攻略法が広く適応され、用いられている現代だからこそ。
一般的に、この設計図という観念が認知されるべきではないかと、私は考える。
ここまで(心を作るプロセスについて)を読んで下さり誠にありがとうございました。
関連する投稿をみつける
まー
心に落ち着きがもてる
私は強くないし
昔から泣き虫だし
それでも生きていきたいと願ってる

ナオキ
僕も今度から使おう。
人生いろいろ

haru
基本的に穏やかで、誰とでもすぐに打ち解けるから、気づけば周りに人が集まってるタイプ。ただ、自分が一度「これだ!」って決めたことには、周りが見えなくなるくらい一直線になるから、その熱量に周りがちょっと引くこともあるかもね。でも、その真っ直ぐさがこの子の人間味なんだよな。


雨
皆さん自分にとって充実したクリスマスになりますように。
少しでも、体も心も暖まりますよう願ってます。
瞬き

うちゅう@170
回答数 3>>
フェネスに温めてもらう!
多分フェネスなら「温めて(意味深)」に受け取って照れてくれるはず…!?
照れてるフェネスは健康に良いので身体も心も温まるはず

かいと
回答数 219>>
もっとみる 
話題の投稿をみつける

聖火(セ
レベリングが捗るんじゃぁ

みなる

いずの
簡単にデフォルメ多めの漫画風で

ほしな

栗原誠
めちゃくちゃ力入ってると分かるモーションが素敵。
なお、夢の世界?の方ではついに獣vs獣となり(スクショ控えます)、何のゲームか分からなくなってきてます(戦闘の楽しさはアップ)w
#サイレントヒルf


なえら
微妙に得点足りないし微妙に失点多い。

えすあ

タケ💜

ギリ子/
私の財布の紐はホークスが握ってる

クレキ
もっとみる 
関連検索ワード
