今『時間と自己』の1章を読んでいて、かなり平易な存在論の入門書として読めることにびっくりしているところなのだが、やはり読ませる文章を構築する共通要件として「パラグラフがこの順番でなければいけない」ということがあると思う。論理的であるということは順不同でないということなんだろう。