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12月末まで無浮上
前から散々言う味覚もそうなんだよね。日本語が誕生したときには味覚はあるはずで、こんなにも『味』の種類があるはずなのに、チョコレートの『甘い』とソフトクリームの『甘い』は同じ甘い、なのよ。なんで言葉が増えないのか不思議なんだけど、今の日本人って言葉を不自由って思ったことないのか、それを不便に感じてないのか…不思議じゃない?誰かこのことをひろゆきとか岡田とかたぬかなとかかなえ先生に聞いてみて欲しい。私は頭悪いからわからん。
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寝言
言葉を不自由と感じなかったから、区別する必要のないものは統合されてきたんじゃないかな それが文化でもあるんじゃないかなと思う 例えば、国によって、地域によって、虹が何色に見えるかが違うんですよね これって、色を区別する必要が無い=区別する文化がないからなんですよね〜 個人的な意見として、日本語は形容詞が豊かな言語だと思っていて 同じ「甘い」でも、とろけるような甘さ、とか、ほろ苦い甘さ、とか色々表現できるから、不自由と感じる人が少ないんだと思ってます
寝言
最後のかぼちゃの例、まさにそれ!って感じです〜〜 頭いいです!!!