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咲太郎
この言葉の真髄は、後半の「内に求める心なくば、眼前にその人ありといえども縁は生じず。」にあると、私は思います。 人生の中で、私たちは多くの人や出来事に遭遇します。しかし、それがすべて「縁」に結びつくわけではありません。ただ会っただけでは、それは単なる偶然に過ぎません。
「求める心」があってこそ、出会いが意味を持ち、縁として深まっていくと思うんです。
事実は一つ、解釈は無限。
過ぎ去った出来事について今さらそう言われても……と感じることも多いのではないでしょうか。特に、苦々しい出会いや辛い出来事に対しては、「そんなもの、求めてなんていなかった!」と思うのが人の心情です。私もそうです。
「人生、出会うべき人には必ず出会う。しかも、一瞬遅からず、早からず。」ここには「良い出会い」「悪い出会い」といった善悪の区別は一切なく、つまり、事実そのものに善悪は存在しない、ということです。
人間だからこそ、嬉しい、辛いといった感情が生まれます。そして、その感情を伴って「良い出来事」「辛い出来事」という解釈が加わるんですね。
立場や環境が違えば、同じ出来事でも解釈が大きく変わる。そうした経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
過去の出来事そのものは変えられませんが、「解釈」を変えることで、新たな気づきや意味を見出すことができます。
求める心は後付けでも良い「辛い」「苦しい」といった感情も、人間らしい自然な感情です。
しかし、それを「ネガティブな感情」と捉えて無理に蓋をし、無かったことにしてしまうと、そこで得たはずの 「大切な出会い」や「貴重な経験」まで無かったことになってしまいます。それは本当にもったいない!
だから、その感情をしっかり味わい切って、「この出来事から私は何ぶのか(学んだのか)?」と内省します。それもなるべく深く。そして「解釈」を「求めた心」として、意味づけするんです。
その内省を深めることで、 「解釈」 を 「求める心」 に変えることができるんです。
一見するとただの苦しい出来事でも、後から「求めていたこと」として再解釈すれば、その経験は自分にとって価値あるものへと変わります。
じっくり、時間をかけても構わないし、ずっとずっと前の出来事を何十年後に内省しても良いと、私は考えています。
「求める心」は無限です。どういう意味をつけてもよい、自分の中では。そして期限がない。だからこそ、人間はいつからでも成長できるし、変わることができる。そう強く信じています。

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