R指定が「君がドヤ顔で踏んだ韻は俺の轍」と言っていたが、そもそも韻をドヤ顔で踏むということ自体が滑稽なのかもしれない。以前noteでラップと馬鹿馬鹿しさについて書いたが、ライミングの滑稽さについても考えたい。一方で韻はともすればナショナリスティックな高揚にも転んでしまうというふしぎ