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釣りパパ 陸戦型
僕はΖガンダム含めて続編が好きな出来上がりで無いので観ていません。
そもそもなぜ科学技術の髄を集めて作ったロボットがなぜ殴り合いの白兵戦をするのだ、と。
しかしこの逆襲のシャアは「あの」岡田斗司夫が褒めていたのです。(メカデザインにガイナックスが入っているせいかも)
確かにμガンダムは元々のガンダムからの正統進化といった風貌ですし、サイコミュ搭載は流れから当然だと思います。
アムロとシャアが敵対するのも、懐かしい感じです。
ただ池田さんの声がコナンに出てくる人よりシャアでないのが気にかかります。
そして観た感想です。
富野由悠季は機動戦士ガンダムを超える作品は作れない、です。
Ζガンダムで間違った流れを作ってしまったがために、それを無視できずに作品に違和感を産みます。
プルツーにムカつきます。
カミーユにムカつく感じが蘇ります。
ボトムズのキリコが好きな僕には到底受け入れられない路線です。
カミーユ、お前こそ修正したい…というか矯正だろ、こんなヤツ。
なんでΖガンダムは革マルっぽいのだろう。
そして、ハサウェイ。なぜ味方を撃つ?
いくらプルツーをやられたからって「これって戦争なのよね」とスレッガーも言ったじゃないか。
このΖ以降のグチャグチャが最後まで尾を引いた作品でした。
機動戦士ガンダムの完成度が高いだけに、その後の二次創作モノの出来の悪さ、想像力の限界が残念です。
地球の重力に魂を縛られた人々?なんじゃそりゃ?
人工物のコロニーが無ければ生きられないのが解放された魂なのか?ワケワカラン。
シャアは地球を寒冷化して人類を根絶やしにしようと執念を燃やしますが、その理由に共感出来ません。
シャアが電車移動するときに、車両内で住民と交流しますが、宇宙世紀にアコーディオンで歌を歌います。
その姿はソ連などの東側の指導者然としています。
富野由悠季は革命、革新を革マルに見出したのでしょうか。
やはり富野由悠季は機動戦士ガンダムが最高作品だったようです。


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キャパオーバーギリギリとは何ですか?
キャパオーバーギリギリは、主に仕事やプロジェクトの進行状況を表す言葉で、リソースや時間が限界に近い状態を指します。具体的には以下のような意味合いがあります。
キャパオーバー: これは「キャパシティオーバー」の略で、能力や容量を超えている状態を意味します。例えば、仕事の量が多すぎて、処理しきれない状況です。
ギリギリ: これは「ぎりぎりの状態」を表し、何とかやりくりしているけれども、余裕がない状態を示します。例えば、締切が迫っている中で、なんとかタスクを終わらせようとしている状況です。
この言葉は、特に忙しい職場やプロジェクトの進行中に使われることが多く、チームメンバーがストレスを感じている時や、追加の仕事を受け入れる余裕がない時に使われます。要するに、キャパオーバーギリギリは、限界に近い状態での奮闘を表す言葉です。

ちーば
キャパオーバーギリギリの意味は?
キャパオーバーギリギリは、主に「キャパシティオーバーギリギリ」の略で、何かの限界や容量がほぼいっぱいになっている状態を指します。具体的には、以下のような場面で使われます。
仕事やプロジェクト: タスクやプロジェクトが多すぎて、もうこれ以上は受け入れられない状態。
イベントや集まり: 定員ギリギリの状態で、これ以上の参加者を受け入れられない状況。
感情やストレス: 精神的な負担が限界に近いときにも使われることがあります。
この表現は、特に若者の間でカジュアルに使われることが多いので、友達との会話などで気軽に使ってみてください。
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達
やっぱり機動戦士ガンダムはRX78だけですね。アムロの親父とかスレッガー中尉とかカツレツキッカとか、懐かしい思い出です。ガンダムIIIを子供の頃映画館で観に行ったのがガンダムの思い出の最後です。それからはガンプラ一択でした[大笑い]
釣りパパ 陸戦型 投稿者
プルツーが「落ちろ落ちろ落ちろ」と言って発生する爆発には、それぞれ人が1人づつ死んでいるのだ。 好きだ嫌いだという理由で軍をあっち行ったりこっちいったりできるかっての。 そしてそのワガママに大量の死が付きまとうことを無視している。 ハサウェイはブライトが銃殺すべきだ。出来なければ軍事裁判で戦争犯罪人として処罰を受けなくてはならない。 この子供のワガママ、ダダを許し設定に使い続けるのが訳がわからない。 機動戦士ガンダムは理不尽な「大人の事情」に振り回されて怒りを感じていたのが共感を呼んだのではないか? 変な方向に進んでしまった。