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ヤス🍇🤍🧸🥞🌹🥃🐺⚖️
この武田家では、当主が「御旗・楯無も御照覧あれ」と言うと、それ以上の議論をしてはいけないことになっていた。
少々、説明しよう。武田家は源氏の血を引く、超名門の家である。
つまり、源頼朝、足利尊氏などと、祖先が同じなのである。
源氏の祖先に源義家という人がいる。平安時代の武人で、通称は八幡太郎。
彼は生きている当時から軍神と崇められ、その後、江戸時代に至るまで、全ての武士が尊敬していたという、まさに武士のカガミである。
話を元に戻そう。
武田家に伝わる「御旗・楯無も御照覧あれ」という言葉の意味である。
御旗(みはた)というのは「義家が使っていた旗」、楯無(たてなし)というのは義家の弟である「義光が使っていた鎧」のことなのである。
この二つは武田家に伝わるものの中で、最も神聖なものであった。
故に、この二つの前で誓ったことは、死を持っても守らなければならず、それ以上の議論は止めなければならなかったのだ。
武田勝頼(信玄の息子)と織田信長が戦った「長篠の戦い」。
織田信長が3,000丁の鉄砲で、武田の騎馬隊を破ったという有名な戦いである。
この戦いの前夜、武田軍側は「引くべきか、攻めるべきか」で議論が紛糾した。
長老達は「引くべき」と主張し、若手は「攻めるべき」と主張する。
しかし、最後に武田勝頼はこう言い放った。
「御旗・楯無も御照覧あれ、明日は戦いで勝負をつけるぞ!!!」
その瞬間、長老も若手も「ははっ!」とひれ伏し、議論を止めたのである。
結果は、みなさんのご存知の通りである。
武田勝頼が下手に「御旗・楯無も御照覧あれ」と言ってしまったため、武田軍は
勝てぬ戦と知りながらも突撃を繰り返すしかなかった。御旗と楯無の前で誓った
ことは、死を持っても守らねばならないからだ。
そして最後は、かつて無敵と呼ばれた武田騎馬隊も、信長の鉄砲隊を前にして、ほぼ全滅してしまったのである。
長時間の議論は無意味であるため、誰かがパッと決断する必要があるが、決断を
下した人間が愚かだと、みじめな結果に終わるという話である
みなさん くれぐれも 決断を間違えないように
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「御旗」「楯無」。 戦場の合言葉としても使われていた、とかつての大河ドラマでも描かれてましたね〜[笑う]
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歴史に疎い私ですが、凄く面白いです✨✨
蘭.🫒o
読みきれない、明日読むねお休み😌🌃💤なさい!